読書メモ

 

月刊事業構想 (2016年11月号『大学スポーツの潜在力』)

月刊事業構想 (2016年11月号『大学スポーツの潜在力』)

 
  • 日本版NCAAに求められるのは4つ
  • 顧客価値の向上:する人だけでなく見る人も楽しめるように
  • ガバナンスの向上:会計の透明化
  • メディアとの関係性の再構築:メディアと放映権料の交渉する組織必要
  • 部活動と勉学の両立支援:NCAAはGPAの厳格なチェックがある 

 

現代スポーツ評論36 特集:大学スポーツの産業化

現代スポーツ評論36 特集:大学スポーツの産業化

 
  •  NCAAの収入は1000億(大学やカンファレンスの収益除く)で、8割は放映権料
  • カンファレンスと呼ばれる5〜15校の地域リーグが98ある。
  • カンファレンスは所属大学の規模や実施競技の種類によってディビジョン1〜3に分かれている。
  • NCAAの稼ぎ頭はテキサス農工大学の201億、テキサス大学が192億

 

制服少女たちの選択

制服少女たちの選択

 
  • 「親が悪い」「学校が悪い」といったコミュニケーションを社会学では外部帰属化と呼ぶ。
  • 低いコストでリニアな因果帰属を行い、自分を無害で安全な場へ避難させる作法。
  • 感情浄化の効果があるので社会システム理論はこれを無意味としない。
  • しかし問題解決には役立たず、社会的な実効性がないので、これに対して別様の選択可能性を模索すること(さらにその作法を考えること)が社会システム理論の目的となる。

アイデアはひらめかない

以前本屋で見つけられなかった「発想の技術 -アイデアを生むにはルールがあるー」を川崎のあおい書店で見つけて、読み終えた。

 

発想の技術 アイデアを生むにはルールがある

発想の技術 アイデアを生むにはルールがある

 

電通でプランニングの仕事をしている人の発想術。

”術”というとマニュアルやハウツーをイメージしてしまいやすいが、内容はあまり体系だってなくて、発想している時のジグザグ感、行き当たりばったり感みたいなものがすごく表れている。

 

「ステップ」という言葉を使いましたが、いわゆるフローチャートのようにこれに沿えばなんとかなる、というものでもありません。むしろその真逆です。何かに沿えばなんとかなる、という表層に陥りがちな考え方ではなく、思考をいかに深めていくか、広げていくかというためのものだと捉えていただいたほうがいいと思います。(p35) 

 

冒頭では、キラキラワードとなっている”アイデア”を次のように定義している。

 

「問題を解決し、継続的に世の中を動かすための動力」。(p11)

 

この時点で、簡単に”アイデアをひらめいた”とは言えなくなってしまう。

「アイデアを出すのが得意です」と面接でアピールする学生について。

 

(彼らの)アイデアの具体例は、そのほとんどがなにも解決しない、効力ももたない、ただ自分をよく(あるいは「それっぽく」)見せたいがためのものにすぎないという状況です。(p16)

 

人が能動的になにかに参加するというのは、ものすごいことなのです。表面的な投げかけ、表層的な問題解決では、とてもではないですが、そんなことは起こらない。多くの人を動かすにはそれだけの力学を生む必要があり、そのためには、大きな価値の設定、大きな気持ちの設計が必要となります。(p19) 

 

ここまで読むと、アイデアは”ひらめく”ものではなく”丹念につくり込む”ものであると言い換えることもできる。

ひらめくのはあくまで「(既に吟味された)問題に対する解決策」を考えている時だけで、「そもそも問題は何で、それを生じさせている原因は何か」という段階から”アイデアの深さ”が決まってくると筆者は述べている。

 

アイデアの「もと」はどこにあるかというと、実は課題そのものに潜んでいます。より正確に言うと、課題を生じさせている「原因」に隠れているのです。ですから、当たり前ですが、「原因」をどう捉えるかによって解決のためのアイデアは変化します。(p50) 

 

”アイデア”という聞こえの良さや言葉としての利便性を厳しく定義し直し、その魅力の表層が見えているに過ぎないとばっさり切り倒している。

一方で、しっかり問題を深掘りし、地に足着いた解決策を考えることができたとき、自分はその最大の応援者であり、またそのアイデアを過大評価すべきだと筆者は述べている。

 

応援者は、常に対象を過大評価すべきです。

(中略)

最初から客観的な視点で冷静に、というよりむしろ冷めた目線で見てしまう。情熱をもって全力でよさを見出していくというプロセスを踏まない。(p105)

 

これはアイデアに限らない話だと感じた。

つまり、何かにコミットする際は、どこか意識的に盲信状態をつくりだすことが大事だという普遍的なメッセージなのではないかと思う。

内部批判や自己批判を否定するわけではないけれど、すごく勉強している人に限って「あれも違う、これも違う」と言って何かを成し遂げた気になることが多い。

 

”知りすぎて踏み出せないだけなのでは”という理性を働かせることで、意識的に”考えない”状態をつくり、今まで見えてこなかった対象の魅力を探っていく。

ある程度キャリアを積んできた人が、これを意識的にできるかどうかが、何か大きな分かれ道の1つになる気がする。

 

最後は、人の行動を誘発させるような言葉をつくるポイントについて。

 

僕は「できるだけ形容詞に頼らない」ということを意識しています。形容詞は言葉の守備範囲が広すぎて、どうしてもぼんやりとしたものとなってしまいます。対象を結局「どういうものにするのか」、ということを伝えるという意味では、「選び抜かれた端的な名詞や行動が明確な動詞で勝負するしかない」ということです。(p180)

 

 

 この著書は全体的に端的で分かりやすい言葉と、そのイメージを喚起させてくれるユニークなイラストで構成されていて、パターンのイラストを考えるうえで非常に参考になりそうだと思った。

研究会の文献リストにもあがっている「表現の技術 -グッとくる映像にはルールがある」も、同じ電通の方の著書で、様々な創作に応用できる言葉や考え方が含まれていて、面白い。

 

表現の技術―グッとくる映像にはルールがある

表現の技術―グッとくる映像にはルールがある

将棋のなかの創造力

羽生善治さんの「決断力」を読んだ。

 

決断力 (角川oneテーマ21)

決断力 (角川oneテーマ21)

 

実は所属しているゼミの必読文献リストにもあがっている本で、前から気になりつつ、ずるずると読むのを先延ばしにしていた本であった。

 

TV番組のプロフェッショナル情熱大陸で羽生さんの特集を見てから、勝負の最前線に立つ人が”創造”や”学び”をどう捉えているのか知りたいと思っていた。

 

「将棋に限らず…」で始まる文は全て面白かった。

 

経験には、「いい結果」、「悪い結果」がある。それを積むことによっていろいろな方法論というか、選択肢も増えてきた。しかし、一方では、経験を積んで選択肢が増えている分だけ、怖いとか不安だとか、そういう気持ちも増してきている。 

(中略)

そういうマイナス面に打ち勝てる理性、自分自身をコントロールする力を同時に成長させていかないと、経験を活かし切るのは難しくなってしまう。(p.32)

 

羽生さんの考える”プロ”と”アマチュア”の差が、単なる知識や経験値の差だけではないことがよく分かる。

”知る”ということと、”知りすぎる”ということのバランスも考えて進退をコントロールできる力が大事というのは、奥深くて面白い。

 

また、羽生さんは将棋の指し方や戦法について”創造”するときの考え方までも、どこか普遍的なものを読み取って言語化されている気がする。

 

だが、むやみに趣向をこらすのが好きなわけではない。趣向には思想がなければならない。やたら目新しさ で度肝を抜こうとするのではなく、その奇手が新たな地平を開拓する一歩でなければ、ただのこけ威しにすぎないだろう。(p.65)

 

私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている。(p.72) 

 

私は、どうなるかわからない混沌として状況こそ、将棋の持っている面白さ、醍醐味の一つだと思っている。そこには、発見があり、何かを理解することができ、何か得るものがある。ものすごくやりがいがある。(p.76) 

 

このほかにも”保守”と”破壊”、”創造”について語られている場面が多い。

そして、この”保守””破壊””創造”を実践のなかで何度も繰り返していくことでしか、”発見””成果””学び”は生み出されないのだと、何度も主張されているような気がした。

 

自分は駒の”金”と”銀”の動き方もあやふやなレベルだが、将棋を突き詰めて出てくる”創造””集中””決断”に関する普遍的な記述は、一見の価値があると思った。

未来をつくる言葉

昨日『発想の技術 -アイデアを生むにはルールがあるー』を探しに本屋に向かったところ、とても面白い本を見つけた。

 

未来は言葉でつくられる 突破する1行の戦略

未来は言葉でつくられる 突破する1行の戦略

 

一瞬?となるタイトルだが、パターン・ランゲージとの大きな接点が見いだせる示唆深い本だった。

 

ビジョンやコンセプトと世間で呼ばれているものも含めた、未来を語るための作法は、これまであまり体系立って説明されてきませんでした。

本書は、そんな問題意識から生まれた「言葉を使って未来をつくるための本」です。(p.8)

 

私たちは、言葉を通じて目に映る世界を捉え、言葉を使って思考しています。言葉にならないものについては、思考するすべを持たない。言葉は思考の道具であり、思考そのもの。(p.21)

 

未来をつくるためには未来について語るための言葉が必要なので、その言葉をつくるやり方を説明しよう、という本。

 

中盤は様々な企業のコピーや理念が、未来をつくる言葉(本書ではビジョナリーワードと言われている)となって、実際に人びとを突き動かす原動力になっていた事例がたくさん載っている。

 

特に面白いと思ったのは、そういった言葉のつくり方を説明しているPart5だった。

 

機能するビジョナリーワードを、未来からの絵ハガキと捉えると、言葉に求められる三つの条件が見えてきます。

 

(1)解像度

(2)目的地までの距離

(3)風景の魅力 (p.172)

 

 「新しい」「次世代の」は解像度の低い言葉で、目的地までの距離は「行ってみたい」と「行けるかもしれない」と思える中間を狙い、未来の風景は誰にとっても魅力的なものでなければならない。

 

では、そういった言葉はどのようにつくるのか? 

Step1 現状を疑う  「本当にそう?」

Step2 未来を探る  「もしも?」

Step3 言葉をつくる 「つまり?」

Step4 計画をつくる 「そのために?」 (p.177)

 

Step4の”計画をつくる”の段階では、大きなビジョナリーワードを元に、それを達成するためのアクションをいくつか細かく分けて記述する、という方法が述べられていた。