将棋のなかの創造力

羽生善治さんの「決断力」を読んだ。

 

決断力 (角川oneテーマ21)

決断力 (角川oneテーマ21)

 

実は所属しているゼミの必読文献リストにもあがっている本で、前から気になりつつ、ずるずると読むのを先延ばしにしていた本であった。

 

TV番組のプロフェッショナル情熱大陸で羽生さんの特集を見てから、勝負の最前線に立つ人が”創造”や”学び”をどう捉えているのか知りたいと思っていた。

 

「将棋に限らず…」で始まる文は全て面白かった。

 

経験には、「いい結果」、「悪い結果」がある。それを積むことによっていろいろな方法論というか、選択肢も増えてきた。しかし、一方では、経験を積んで選択肢が増えている分だけ、怖いとか不安だとか、そういう気持ちも増してきている。 

(中略)

そういうマイナス面に打ち勝てる理性、自分自身をコントロールする力を同時に成長させていかないと、経験を活かし切るのは難しくなってしまう。(p.32)

 

羽生さんの考える”プロ”と”アマチュア”の差が、単なる知識や経験値の差だけではないことがよく分かる。

”知る”ということと、”知りすぎる”ということのバランスも考えて進退をコントロールできる力が大事というのは、奥深くて面白い。

 

また、羽生さんは将棋の指し方や戦法について”創造”するときの考え方までも、どこか普遍的なものを読み取って言語化されている気がする。

 

だが、むやみに趣向をこらすのが好きなわけではない。趣向には思想がなければならない。やたら目新しさ で度肝を抜こうとするのではなく、その奇手が新たな地平を開拓する一歩でなければ、ただのこけ威しにすぎないだろう。(p.65)

 

私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている。(p.72) 

 

私は、どうなるかわからない混沌として状況こそ、将棋の持っている面白さ、醍醐味の一つだと思っている。そこには、発見があり、何かを理解することができ、何か得るものがある。ものすごくやりがいがある。(p.76) 

 

このほかにも”保守”と”破壊”、”創造”について語られている場面が多い。

そして、この”保守””破壊””創造”を実践のなかで何度も繰り返していくことでしか、”発見””成果””学び”は生み出されないのだと、何度も主張されているような気がした。

 

自分は駒の”金”と”銀”の動き方もあやふやなレベルだが、将棋を突き詰めて出てくる”創造””集中””決断”に関する普遍的な記述は、一見の価値があると思った。